はじめに

1.現実、言霊は神秘ではない、哲学者大森荘蔵

大森荘蔵の『ことだま論-言葉と「もの・こと」』の初めの部分を借りよう。


『日本をはじめ、多くの民族において、ことばには霊力がそなわっており、その力によってことばは事物を喚びおこすものと信じられた。それは光をこの世に生れいでさせた「光あれ」という神のことばにとどまらず、人のことばにもあると信じられた霊力である。言は事をよびおこす。その力が言にひそむ「ことだま」なのである。

この古代の考えは原始的信仰として、現代ではかえりみられない。しかし、言葉の働きを観察するとき、再びこの「ことだま」の力を見ざるをえない。もちろん、言葉に不可思議な神秘的な力がそなわっている、と言うのではない。そこには、ひとかけらの神秘もない。むしろ、それは平々凡々たる事実であるように思われる。

以下で、その凡々たる事実を平坦に述べてみたい。しかし、その平凡な事実が、真理や実在についてのわれわれの抱いている考えに訂正を迫ることになろう。』


東京大学教養学部教授でもあった哲学者大森荘蔵は、古代からある「ことだま」を神秘ではなく、当たり前に起こる事実「平々凡々たる事実」として捉えている。言霊学における大前提も大森荘蔵と同じスタンスである。つまり、「言霊」を神秘としてではなく、客観的に観察する科学的な視点で捉えるのである。



2.現代における言霊論

戦前は、明治天皇が言霊学の研究をされるなど、国学として欠かせないものでもあったが、戦後、言霊というものについてあまり論じられることはなくなった。

現代において広く論じられている言霊論は、神秘としての言霊論、または、言霊信仰への批判的な論調の二つに大きくわかれるようである。


しかし、この二つの論点から、言霊の本質をとらえることは難しい。なぜなら、言霊は神秘でも信仰でもないからである。「平々凡々たる事実」なのだ。さらに哲学者大森荘蔵の言葉を借りるならば、この「平凡な事実が、真理や実在についてのわれわれの抱いている考えに訂正を迫ることになろう。」

この事実を、ただひたすら解明し、言霊の本来の役割を明確にするのが「言霊学」であり、解明された事実、概念、智慧の庫(くら)が「言霊神社」であり、その学びの場を提供するのが「言霊大学校」である。


先人たちの意を受け継ぎつつ、現代科学との統合を図りながら、その学を深めていく所存である。


Photograph © MINORU ICHIGE